最新更新日:2024/05/09
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師勝西小 合言葉 「あ」あいさつを大切にする 「い」いのちを大切にする 「ち」ちえを育む

201225 2学期 リモート終業式

 こんにちは。明日からは、 皆さんが楽しみにしている冬休みです。短いお休みですが、すてきな思い出ができるといいいですね。
冬休み中の「きまり」や「めあて」については、担任の先生やお家の方としっかりと確認し、守りましょう。それが、皆さん一人一人の命や健康を守ることであり、楽しい冬休みにするための基本となります。
 1学期の終わり夏休みに入る前に、「〜しなさい」と人から言われるサイよりも、自分から「早く起きるぞう。」「勉強するぞう。」「ゲームをやめるぞう。」という「〜するぞう。」のゾウになろう、とお話しました。 
 そして、2学期の始めは、ゾウからタイになろうとお話しました。目標を決め挑戦する気持ちです。
 たとえば、「本をいっぱい読みたい。」「クラスのみんなを楽しませたい。」「やったことのない役割、リーダーになりたい。」「すすんで発言ができるようになりたい。」「ピアノを上手に弾けるようになりたい。」「2重跳びができるようになりたい。」などなど、目標を決め挑戦しよう、と言いました。
どうでしたか?2学期は挑戦できましたか?コロナウイルスのせいで我慢をすることが多かったですね。校長先生は、校長室の窓や廊下からのぞいていましたが、よくがんばっていましたね。
 さて、未来のリーダーになる君に、最近の世の中の様子をみて、一つお話をしておきたいと思います。
 それは、フランスに伝わるお話です。「ぶどう酒(ワイン)が水になった話」をします。フランスの田舎で何十年も小学校の教師をしていた一人の先生が、学校をやめて自分の故郷に帰ることになったそうです。それで村の人たちが自分の子どもたちがお世話になったので、何かプレゼントをしようと話し合いました。ところが、その村は大変貧しい村で、先生にお金をかけて贈り物をするような余裕はどの家にもありません。そこで、村の名産であるぶどう酒(ワイン)をみんなの家にある量だけ持ち寄って贈ろうということになったそうです。村の広場の真ん中に大きなたるをおいて、それぞれがぶどう酒(ワイン)を持ち寄って、みんなでいっぱいにしました。いっぱいになったので封印をして先生に贈りました。
 先生は、村の人たちの思いがけない贈り物に大変喜び、感謝の言葉を大勢の人々に言いました。
「村の人たちと別れるのは、とてもつらいけれど、大好きなぶどう酒(ワイン)をもらったので、ふるさとに帰るのが楽しみになりました。ありがとうございます」と。
 ふるさとに帰って2,3日してから先生は、「さて、いただいたワインを味わってみることとするか。」と樽からワインをグラスに注ぎました。しかし、そのワインを一口飲んだ途端、先生の表情が、「楽しみだなあ、うれしいなあ」から「えっなぜだ、どうしてなんだ」という顔に、みるみる変わりました。グラスに注がれた液体は、どう味わっても「水」だったのです。まるで狐につままれたようで訳がわかりませんでした。
 先生は不思議でたまりませんでした。あんなに正直だと思っていた村人たちがなぜこんなことをして自分のことをからかうのだろうか、どう首をひねってもわかりません。それよりも裏切られた怒りを抑えることができませんでした。
 さて、みなさん、どうしてぶどう酒(ワイン)が水になってしまったか、わかりますか?ヒントは「自分一人ぐらい」です。
 つまり、村人たちは、一人ひとりが「自分一人ぐらい、ワインでなく、水を入れたところで 、大量のワインの中に入れる少しの水なのだから、大きな樽の中の味が変わる訳はない。水を入れておけ。」と約束を守らない人が出てきたです。それが、AさんだけでなくBもCもDもEも、いや村人全部がそんなふうに考えて水を入れたので、たるの中は全くの水になってしまったということです。
 これが本当にたった一人だけの行動だったら、おそらく先生が注いだ液体は 「 ワイン 」 だったでしょう。しかし残念なことに、全員がそのように考えてしまったのですね 。つまり樽に注がれていたのは、初めからワインではなく、水だったのです。一人、二人ぐらいはワインを入れた人もいたかもしれませんが。
 私もこの話を小学生のころ聞いたことがあります。その時は、こんな話はないだろうと、その時は思いました。しかし 確かに全員が「自分一人ぐらいしなくても」とずるい考えをもって行動したとしたら、大変なことになってしまいます。
 今、日本中でコロナウイルスが広がらないようにがんばっています。未来のリーダーの君だからこそ「自分ひとりぐらい」やらなくてもという考え方ではなく、「自分がやらなきゃ、誰がやる」という気持ちを校長先生はもってほしいと思います。
 新たな年、令和3年、2021年が皆さんにとって素晴らしい年となりますよう願っています。
 令和3年1月5日、火曜日、全員の皆さんとここで再び、さわやかに新年のあいさつを交わしましょう。良いお年をお迎えください。これで校長先生の話を終わります。

201214  「 ベートーヴェン ー負けない心で未来を創るー 」

おはようございます。
今日は、私が尊敬する「ベートーヴェン」の話をしたいと思います。名前を聞いたことがありますか。今年は、彼が生まれてから250年目の年になります。多くの番組やニュースでも報道されていますね。
特に年末になると、第九といって「歓喜の歌」がよく流れます。
今から250年前の1770年12月16日、明後日ですね。彼はドイツの都市ボンの宮廷音楽家の家に生まれました。父はモーツァルトの父子を理想として、3歳からベートーヴェンに音楽の教育をしました。そのため、彼は小1にあたる7歳で演奏会を開き、小6の11歳で作品を初出版するなど、幼いころから驚くほどの才能を発揮しました。お父さんはとても厳しく、彼が曲を弾き通せるまで、食事も与えずに部屋へ閉じ込めたり、暴力をふるったりもしたそうです。これはいけません。
高校1年生くらいの16歳の時にはウィーンへ行き、尊敬するモーツァルトの前で演奏しました。
20歳のとき、ベートーヴェンは、お師匠さんとなるハイドンと知り合います。ハイドンに彼は弟子入りをするのです。道を極める人はお師匠さん・先生が必ずいるものですね。
そんな中、彼を苦しめる運命の足音は、ひたひたと彼のすぐそばまで近づいていました。
それは、20代後半から始まった、耳の不調です。そんな28歳のころ作曲したのが≪悲愴≫です。悲愴とは悲しみに暮れ、痛ましい気持ちのことです。しかし彼は、この時期の友人へ当てた手紙に、「この運命に打ち勝つ」とか、「自分の新しい音楽を作り上げて世に出したい」という決意を書き、送っています。
やがて30代のころ、耳がほとんど聞こえなくなってしまいます。でも、そんな体になってもベートーヴェンは、ウィーン北部の村ハイリゲンシュタットで、33歳の時に不朽の傑作《英雄》を作曲。36歳で「ヴァイオリン協奏曲」を、38歳で村に流れる小川沿いを散歩してイメージした曲《田園》を、39歳で不朽の傑作《皇帝》。そして40歳で≪エリーゼのために≫を完成させるのです。すごい勢いです。とても情熱あふれる強い心だと思いませんか。
しかし、どんどん耳の病気は悪化し、45歳からはとうとう何も聞こえない状態になってしまうのです。
普通の人なら、音が聞こえない、耳が不自由になったなら落ち込んで、やる気を失うものです。
彼は、音を職業にしている音楽家にもかかわらず、音の聞こえない音楽家になってしまったのです。
みなさんなら、どうしますか?でも、彼は負けないのです。彼は音楽をやめるどころか、もっともっとやる気を出していくのです。知恵を出し、音楽家で初めてメトロノームを使い、テンポの速さを目で見ながら作曲し、ついに最高傑作である人間の声、合唱を入れた「交響曲第9番《歓喜の歌》」を54歳で完成させるのです。そして、2年後の56歳。「楽聖」と呼ばれ、世界中の人に影響を与えた彼は、雷の閃光と雷鳴の中、右手をあげて息を引き取ります。ウィーンにある彼のお墓は、メトロノームの形をしています。
校長先生はベートーヴェンを尊敬しています。彼のどんな大変な中でも負けない心に感動しています。
ベートーヴェンは、“ご近所トラブル”が絶えず、引っ越しばかり60回もしたと言われています。また、コーヒーは必ず60粒の豆をひいてつくると決めていたなど、少し変わった人とも言われています。
ですが、それまで貴族のための宮廷の音楽であったのを、市民や民衆のための音楽にしたのも彼です。彼はプロの音楽家として活躍し、彼こそが「音楽の未来を形創った存在」だと思っています。
この師勝西小学校からも負けない心で未来を創る人が育つことを願っています。

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