最新更新日:2024/05/09
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師勝西小 合言葉 「あ」あいさつを大切にする 「い」いのちを大切にする 「ち」ちえを育む

朝礼のお話 ひな祭り 210222

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 おはようございます。
 もうすぐ3月3日になりますね。何の日でしょうか。そうです、ひな祭りですね。
 今日はこのひな祭りのことについてお話をしておきます。ひな祭りはもともと五節句のひとつです。
 五節句とは、正月7日、1月7日の人日(じんじつ)の節句・3月3日の上巳(じょうし)の節句・5月5日の端午(たんご)の節句、7月7日の七夕(しちせき)の節句、9月9日の重陽(ちょうよう)の節句のことです。江戸時代にこの宮廷の伝統行事が広まりました。五節句は季節に応じた草や木に触れたり、食べたりすることで邪気を払い健康になることが大事な目的でした。
 だから、人日の節句では七草粥。桃の節句には、桃やよもぎ、白酒。端午の節句では菖蒲湯に入り、ちまきや柏餅。そして七夕の節句では七夕の竹・瓜とそうめん。また、重陽の節句では菊をかざり菊酒を飲みました。さて、その中の3月3日「上巳(じょうし)の節句」が今日のお話です。
 もともと、この日は中国三国志の魏の時代2000年ほど前ですが、忌日(いみび)、あまり人にとってよくない日とされ、そのけがれを祓うため水辺で体を清め、厄払いとして宴会が行われていました。これが日本に伝わったのです。1300年前の「日本書紀」という本には「3月3日が上巳の節句」と書かれています。それが、 平安時代に自分の身代わりに土や紙の人形にけがれを移して水に流す「流しびな」の行事や、貴族の子ども達の間では「ひいな遊び」というお人形遊びとなっていきました。
 昔は、子供が無事に育つことはとても大変なことでした。「上巳の節句」(じょうしのせっく)で使った土や紙の人形は、いつしか幼い子の病気や災厄をはらい無事な成長を祈るものとなっていきました。
 平安時代に紫式部という女性が書いた「源氏物語」に、貴族の少女達が「ひいな遊び」をしている風景があります。同じ頃の清少納言の「枕草子」という本にも出てきます。ぜひ、見つけてみてくださいね。「ひひな」とは、女の子の遊び道具でした。この「ひとがた」と「ひひな」が結びついて、現在の「お雛さま」が生まれたそうです。江戸時代になると、平安時代の宮廷を模した雛壇の雛人形となっていきました。やがて、3月3日に娘の幸福を願って人形を飾る風習が次第に広まっていったのです。
 さてここで、問題です。第1問、お雛様とお内裏さま。前から見て、お雛様は右でしょうか?左でしょうか?答えは、そう前から見て、このあたりではお雛様は右になります。でも関西や昔の京都では左だったのですよ。お雛様が持っている扇子は檜扇(ひおうぎ)と言って、儀式や行事のマナーなどのメモをこっそり持つためや、他の人の視線から顔を隠すための必需品だったそうです。お内裏様が持っているのは笏(しゃく)と言って、この裏側には、儀式の順番や注意事項などのメモを隠し持っていたそうです。
 第2問、お雛様の下の段(上から2段目)にいるのは3人の女性でしょうか?5人の人でしょうか?答えは、三人官女(さんにんかんじょ)です。この人たちはお雛様の身の回りのお世話をします。3人のうち1人は眉毛がなかったり、お歯黒と言って歯を黒くしていたりして、これは結婚していることを表しています。
 第3問、音楽を演奏する5人組の男性は何というのでしょうか?答えは、五人囃子(ごにんばやし)です。右から楽器が小さい順番に並んでいて、一番右の人は歌をうたいます。一人だけ楽器を持っていませんよ。では、その下の4段目に弓矢をもった男の人のことです。この人たちは、随身(ずいじん)と言ってお内裏様とお雛様を守る、右大臣と左大臣の2人組です。左大臣は向かって"右"、右大臣は向かって"左"に座っています。
 第4問、左大臣と右大臣どちらが年上でしょうか?正解は、左大臣の方が年上なんですよ。よく見てくださいね。最後に、その下には市丁(しちょう)という三人がいます。
 最後の問題です。この人たちは何をする人でしょうか?答えは、掃除など、みんなのいろいろなお世話をする人です。
 健康で、病気や災害や禍に合わないよう、子どもが幸せにくらせるように昔の人が考えた行事の一つがこの節句の意味です。3月3日は女の子の節句ですが5月5日は男の子の節句となります。幸せは、もらえるものではありません。自分で感じるものです。病気にならないよう、コロナウイルスにかからないよう自分で気をつけることが大切です。そして、人に迷惑をかけないよう心がけることです。友だちにありがとう、先生にありがとうございます、お家の方にありがとうございます、と感謝できる子が幸せを感じる子になります。
 まもなく3月です。未来のリーダー、世界のリーダーになる君へ「みんなが健康で 幸せにすごせる いごごちのいい 師勝西小」をつくる人に育ってください。これで校長先生のお話を終わります。

朝礼のお話  節分    210201

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 おはようございます。毎日なわとびがんばっていますね。ジャンプボードもどんどん使ってくださいね。
 未来のリーダーの君へ、今日は節分にちなんだ話をします。
 いよいよ、節分ですね。節分という言葉には、「季節を分ける」という意味があります。だから昔は立春、立夏、立秋、立冬の「春夏秋冬の始まりの日の前日のこと」を節分と言っていました。昔の日本では、春は一年のはじまりとされ、特に大切にされたようです。そのため、春が始まる日、これを立春と言い、その前の日、つまり冬と春を分ける日だけを節分と呼ぶようになったそうです。今年2021年は、2月3日が立春になります。ということは、節分はいつでしょう?そう2月2日、明日になるのです。なぜこうなったのでしょうか。それは、「うるう年」のように、日にちを調整して立春がずれたのです。前に2月2日が節分だったのは、明治30年以来、124年ぶりのことだそうです。でも、来年からまた2月3日にもどりますよ。
 さて節分の日、日本では「鬼は外、福は内」といって豆まきをします。この豆まきは季節の変わり目に起こりがちな病気や災害を鬼に見立て、それを追い払う宮中の鬼払いの儀式が広まったものです。節分に行う豆まきは、悪いことを払いのけ、新年の幸せを願う行事が日本各地で行われ、現在も大切にされています。つまり節分は、「みんなが健康で幸せに過ごせますように」という意味をこめて、悪いものを追い出す日です。「鬼は外、福は内」と言いながら豆まきをします。
 では、鬼の正体はなんでしょう。鬼滅の刃の鬼でもありません。約束のネバーランドの鬼でもありません。
 それは目に見えないものです。人は目に見えないものがとても怖いのです。1000年前から行われた豆まき行事。冬の季節は毎年インフルエンザが大流行します。今年は、コロナウイルスですが、目に見えないウイルスで多くの人が苦しみました。この苦しみの原因、インフルエンザを鬼の仕業だと思ったのです。だから、豆を食べ健康に気をつけようとしたのです。
 そしてもう一つは、人の悪い心です。これは、子どもたちの心の中にスッと入ることもあります。
 うそつき鬼・泣き虫鬼・おこりんぼう鬼・やだやだ鬼、自分さえよければいい鬼、わがまま鬼、学校ではろうかを走る鬼、そして、もっとも悪いのがいじめ鬼です。人に迷惑をかける心が鬼の正体です。
 昨年から「鬼滅の刃」が大流行をしました。なぜ、流行したのでしょう。ある先生の話です。「鬼滅の刃の主人公、炭次郎くんは友達のため、妹のためどんなに苦しくても、我慢をして立ち向かっていく。辛くて負けそうになっても、我慢して鬼と戦う。だから、コロナでみんな負けそうになってるけれど、我慢をして自分と同じように頑張っている炭次郎くんを応援しているんですよ」とおっしゃっていました。校長先生もその通りだと思います。我慢強い炭次郎くんに負けず頑張りましょうね。人に迷惑をかける、わがまま鬼はいけませんよ。世界中の人が頑張っています。我慢をしています。君たちもマスクをつけること大変ですね、友達と間をあけることなど我慢をして立派だなあと感心しています。 「禍福は糾える縄の如し」という言葉があります。高学年の人は調べてくださいね。あと残り、32日で、6年生は卒業です。他の学年も35日で春休みとなります。未来の 
 リーダー、世界のリーダーになる君へ「みんなが健康で 幸せにすごせる いごごちのいい 師勝西小」をつくる人に育ってください。これで校長先生のお話を終わります。

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