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師勝西小 合言葉 「あ」あいさつを大切にする 「い」いのちを大切にする 「ち」ちえを育む

20210524 朝礼の話 アンリデュナンとナイチンゲール

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 おはようございます
 世界中がコロナウイルスと戦っています。未来のリーダーの皆さんも毎日、がんばっていますね。
 今日は、世界の命を大切に思う偉大な二人のお話をします。二人とも、5月生まれです。この人を知っていますか?
 この人はジャン・アンリ・デュナンといいます。今から193年前の1828年の5月8日にスイスで生まれました。この人が、「国際赤十字社」をつくった人です。
 31歳のとき、イタリアを旅行中たいへん悲惨なひどい戦争に出会いました。多くの人が亡くなり傷つきその町はまるで、地獄のようでした。この戦場に行きあわせた彼は、「みんな同じ人間どうし」という合い言葉のもとに、町の人々と共に、敵・味方の区別なく傷ついた兵士を助けました。旅を終えスイスに帰った彼は、敵味方関係なく中立的といってどちらにも公平にけが人を手当てする団体が必要だと提唱し、自分のお金を投げ出して赤十字社の創立をしました。一生懸命になりすぎ、彼の会社は倒産をしてしまいました。やがて数年後、ある新聞記者によって報道され、そのことが認められ73歳のとき、1901年、第1回ノーベル平和賞を受賞しました。
 次にこの女性を知っていますか?
 この人は、フローレンス・ナイチンゲールといって、今からちょうど201年前の1820年5月12日にイギリスで生まれました。この人は世界で初めて看護の学校をつくった人です。デュナンより8歳年上のお姉さんくらいですね。
 この人のお父さんとお母さんは貴族のお金持ちでした。ナイチンゲールが24歳の時、看護の仕事に目覚めるのです。この当時、評判の悪い職業に思われていた看護の仕事です。家中のみんなから反対されますが、彼女は病院で病気やけがの人の世話をしたいと言い出します。彼女は自分の道をつらぬくために、一人でこっそりと勉強することにしました。男性から結婚したいと言われてもそれを断って町の病院に入って仕事をしながら看護の勉強をしたのです。
 その時クリミア戦争がおきました。34歳の彼女は、戦争で傷ついている人やけが人の手当てをしてほしいと言われ、現地に行ってみると、それはそれはひどい惨状でした。彼女と一緒に行った38人の看護婦は、昼も夜も、薬とほう帯を持ってかけまわりました。なかでもナイチンゲールは、傷のおもい兵士のところへまるで魔法使いのようにあらわれ、母親のようなやさしい言葉をかけてやりました。みんなが寝静まったあとも、たった一人で、ランプをかかげて広い病室を見てまわりました。傷ついた兵士たちのかわりに、兵士の家族や友人へ、あたたかい手紙も書いてやりました。その後、ロンドンに帰った彼女は体を壊し、車いすの生活になりました。1860年、40歳の時に看護学校を開設したのです。彼女は看護婦の地位を高め、看護学という体系をつくりあげた人です。
 さて、ここでクイズです。それは、だれもがもっています。たった一つしかありません。失くしてしまうと、もう手に入りません。この世で一番大切なものです。とても尊いもので、それはなんでしょうか。
 答えは、いのちです。いのちはかけがえのないものです。失くしてしまうと取り返しのつかない、二度と元にもどらないものです。そして、どの子も大切ないのちをたった一つもっています。
 きみも、きみの隣にいる子にも、このクラス全員にたった一つだけあります。だから、その友達を大切にしましょうね。 今日は、命を大切に思う、5月生まれの二人のお話をしました。
 アンリ・デュナンもナイチンゲールも皆さんと同じ人間です。
 この人たちにできて、みなさんにできないことはありません。いのちを大切に思い、人のためにがんばる、師勝西小の子に育ってくださいね。これで校長先生のお話を終わります。

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