最新更新日:2024/04/26
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師勝西小 合言葉 「あ」あいさつを大切にする 「い」いのちを大切にする 「ち」ちえを育む

6月29日 朝礼での校長先生の話(ヘレン・ケラー)

 おはようございます。
 今、みなさんはマスクや手洗い、人の間をあけるなど我慢が多く、不自由だなと思っている人もいると思います。一つお話をしたいと思います。
 今日は、6月29日です。2日前の6月27日に生まれた女性のお話をします。今から140年前、その女の子は生まれました。
 校長先生も、小学校4年生の時にその女性の伝記を読みました。今でも覚えています。
 その人は、生まれてまもなく高い熱がでる病気にかかってしまい、目が見えなくなってしまったのです。目だけでなく、耳も聞こえなくなってしまったのです。耳が聞こえないと、口も上手く話せなくなってしまうのです。彼女は三つの障害がありました。
 その人の名前を知っていますか? ヘレン・ケラーといいます。
 ヘレンは、目も耳も口も不自由な子でした。ですから、とてもわがままに育ってしまったのです。食べ物は、手でつかんで食べ、すぐに泣きわめき、好き勝手なことをしてしまう子でした。ところが7歳の時、ある家庭教師の女の先生がお家にきたのです。先生の名前はサリバン先生といいました。当時20歳のサリバン先生は、わがままなヘレンにお行儀を教えるのにわざと厳しくしました。いけないことはいけないからです。ある日、ヘレンの手のひらに指でドールDOLL と書いたのです。そして人形を触らせたのです。手で触ることで、文字を教えたのです。
 ヘレンは初めて、文字を覚えました。口の動きも練習しました。でも、目や耳は聞こえないままでした。ヘレンは、何度も何度も練習をし、少しずつ言葉を覚え、文字を習い、学校へ通えるまでになったのでした。それは、それは、大変な苦労と努力がありました。でも、あきらめず、続けたのでした。サリバン先生のおかげでナイフとフォークを使う礼儀やマナーも身につけることができました。
 そして、アメリカの一番難しい大学のハーバード大学にも入学できたのです。
 「目も耳も口もきけないけれど、がんばっています」と日本にも三回も来て、みんなを励ましてくれました。これがヘレン・ケラーのお話です。
 さて、サリバン先生のお話も少しします。サリバン先生は、大酒のみのお父さんと病気がちのお母さんの間に生まれました。サリバン先生も生まれながらにして目がほとんど見えない子どもでした。小さい頃、お父さんが家出をし、お母さんは死んでしまい、たった一人の弟もなくなり、一人ぼっちになってしまったのです。
 声をあげて泣き、目の見えないサリバン先生は、悲しみました。でも、ここがすごいところです。サリバン先生は「どうしても勉強したい」と大人の人に言いました。「学問がしたいとは感心な子だ。私が面倒をみてあげよう」と言ってくれた人がいたのです。 
そして、サリバン先生は、字も礼儀も知らない子でしたが、勉強を重ね苦労を乗り越え、優秀な成績で大学を卒業できたのです。その後、目の手術を受けることができ、目が見えるようなったのです。できないからと言ってあきらめず、頑張り続けた結果です。
 師勝西小学校の子どもたちも、我慢するところは我慢し、どんなこともあきらめないで、最後までやり続けられる子になってほしいと校長先生は願っています。

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