最新更新日:2024/05/24
本日:count up21
昨日:222
総数:621430
チーム白木2024で夢ある中学校生活を実現していきましょう。

第35回全国中学生人権作文コンテスト県大会優秀作品

画像1 画像1
 本校3年の成田さんが、人権作文コンテストで優秀作品に選ばれ、本日の朝礼で発表しました。以下に、彼女の作文を紹介します。
 1945年8月15日は、日本人なら知っているはず、いや、知っていなければならない日だ。しかし、それさえも知らない日本人が、今はたくさんいる。国のために死ねるのなら本望だ。そんな教育がされていた時代があったことを忘れてはならない。人権侵害。そんな言葉が頭をよぎる。
今年は、戦後70年の節目の年である。70年は、とても長い時間だ。人間の一生と同じくらいの時が経った今、私たちは戦争についてどれくらいの知識をもっているだろうか。終戦の日が近づくと、毎年必ずテレビや新聞などで戦争関連の報道がされる。現在、戦争体験者は人口の二割ほどである。幼い頃に終戦を迎えている方は、あまり覚えていらっしゃらないかもしれない。しかし、新聞には7歳のときの戦争体験を語る女性の記事が掲載されていた。70年前の幼いときの記憶をまだ鮮明に覚えていらっしゃるのかと驚きだった。しかし、それほどに戦争というものは強烈なものであったのだろう。
良いことはもちろん記憶に残る。しかし、苦しいことや辛いこと、悲しいことは、もっともっと深く心に刻まれる。あの辛い経験は人々にとって生涯忘れることのできないものなのだ。
その記事の女性は、生まれながらに耳が不自由だったそうだ。玉音放送も聞くことができず、また、字を読むこともできなかったために、米軍がばら撒いたビラも意味が分からなかったと取材で語っていた。戦後30年以上が経ち、原爆ドームを訪れたときに初めて、日本は原子爆弾を投下されて負けたのだということを知ったという。国民には知る権利がある。もちろんラジオ放送もされたし、ビラも撒かれた。しかし、これだけでは理解できなかった人がこの女性以外にも多くいたはずだ。この原因は、教育が正しくされなかったことにあると私は思う。戦争中でさえなければ、この女性は字を読めるようになっていたはずなのだ。聴覚が不自由であっても、人が話していることを知る術を身につけていたはずなのだ。だれもが受ける権利があるはずの教育を受けることができなかった。知ることの権利があったはずなのに、知ることができなかった。許されるはずがない。しかし、それが現実だったのだ。
私は、戦争の写真や映像を見たくない。聞きたいとも思わない。見たい人、聞きたい人だけが見聞きすればいいのに。そう思っていた。でも、それは違った。見て、知らなければならないし、聞いて、感じなければならない。そして、これから生まれてくる子どもたちに、戦争は悲劇しか生み出さないのだということを、はっきりと伝えなければならない。
では、私たちにできることは何か。私たちは何をすればよいのか。当時と違い、今は様々な情報を得る手段がある。新聞やテレビ、インターネット、映画、漫画……。本当にたくさんある。大切なのは、知ろうとすること。これに尽きると思う。教育を受ける権利や知る権利以外にも、様々な権利が奪われた戦時中だが、最も胸が痛むのは、生きる権利がいとも簡単に奪われたということだ。世界中でいまだ繰り返される争いによって、生きる権利を奪われている人々がたくさんいる。戦争は憎しみしか生み出さないのだということを、誰もが理解し、行動できれば、きっと多くの人々が笑顔で毎日を過ごすことができるだろう。だからこそ、多くのことを知り、学び、後世に伝えていかなければならない。それが私たちの使命なのだと思う。戦争の悲惨さ、残虐さ、そして、奪われていく様々な権利があることを知り、認められている権利をきちんと享受できることの素晴らしさを知る。これだけで、今まで見ていた景色と違うものが見えるのではないだろうか。皆で考え、行動し、世界から一つでも多くの争いがなくなるよう、訴え続けたい。誰もが認められている権利を、享受できるように。そして、最も大切な生きる権利を大切にするために。


愛知県情報モラル専用サイト「i-モラル」
小さなサインが見えますか
こころの体温計
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
学校行事
1/7 始業式、避難訓練、3年テスト(教育相談)週間〜15日
1/8 給食開始
〒481-0043
愛知県北名古屋市立白木中学校
愛知県北名古屋市沖村井島31
TEL.0568-22-7454
FAX.0568-22-7453