最新更新日:2024/05/23 | |
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20220523 朝礼の話 愛知の三英傑一人目は、織田信長です。二人目は、豊臣秀吉です。三人目は徳川家康です。 一年生の人も、この三人の名前は憶えてくださいね。この人たちは、三英傑と言って全員愛知県で生まれました。三人の小さい頃のお話をしたいと思います。戦国時代、愛知県が尾張の国と三河の国に分かれていた頃のお話です。 一人目の織田信長は、1534年6月に生まれました。信長の父は尾張の清洲城にすむ大名でした。6歳から15歳くらいの信長は、手のつけられないわがまま者でした。名前を吉法師といい、赤い糸で髪の毛を結んだり、町の中を、もちや瓜などをむしゃむしゃと食べながら歩いたりするので父親の家来から「どうも若様は、気がおかしい(うつけ)ではないか」と言われたりしました。 しかし、弓・やり・武芸には熱心で鷹狩りや水泳も得意で野山を駆け回っていました。 16歳の時、父の葬式で、信長は腰に縄をまいて刀を差し、髪をボサボサにして、ハカマもはかず、のっそり現れ父の位牌の前に立ち、線香の灰をガバッと手でつかみ投げつけたのです。 信長が自分の気持ちを押さえることができるようになったのは20歳くらいと言われています。 信長が21歳のころ、信長のぞうりとりをしていた木下藤吉郎秀吉と出会いました。 二人目の豊臣秀吉は、1537年1月に尾張の国、今の名古屋市中村区で生まれたと言われています。小さい頃の名前は、日吉丸と言い、信長の3つ年下になります。15歳くらいで家を出て、ぬいもの針売りをしてあちこち歩きました。武士になりたい、と思った秀吉は信長のぞうりとりになったのです。秀吉18歳のときでした。頭の回転もはやく、すばしこい秀吉は、短気な信長に気に入られました。ある雪の日、信長のぞうりを懐に入れて温めたのもこの頃です。 新しい工夫を取り入れ、お城を二日間で直したり、寒い日のマキを使う量を半分にし、変わらず温めたりするなど知恵をだし。信長を驚かせ、たいそう気に入られました。 三人目の徳川家康は、1543年1月に三河の国、岡崎で生まれました。小さいときの名前は竹千代と言い、6歳で今川家に人質で行く途中、織田家にさらわれ、8歳で今川家の人質と交換されました。 6歳で織田家の人質になった時、信長に会っています。信長15歳の時でした。 竹千代は、ある時、たくさんの子どもたちが川を挟んで二つに分かれて石合戦をしていました。一方は小勢で半分しかいませんでした。見ていた者は、大勢の方が勝つのが当たり前だと言いました。しかし、竹千代は、人数が少ない方が一心に戦うから、団結力もあり、その方が勝つだろうと言いました。はたして、その通りになりました。家康の少年時代は、信長と違ってわがままどころではありませんでした。人質としてよその家に暮らして、何事もがまんし、短気をおこさない性質は、きっとこの頃につくられたのでしょう。岡崎城にもどることができたのは15歳の時でした。 三人の子ども時代のお話をしました。さて、ここでクイズです。 家康が6歳の時、つまり小学校何年生でしょうか?答えは、1年生ですね。 第2問、家康より6歳年上の秀吉は12歳ですが、何年生でしょうか?6年生ですね。 秀吉より3歳年上の信長は、15歳です。今の中学3年生になります。 つまり、1年生の子が家康、6年生の子が秀吉、そして中学3年生が信長になるのです。 今日は、愛知県の歴史に残る三人の小さい頃の話をしました。みんなと同じ人間です。 歴史にのこる、人のためにがんばり、信長のように武芸に励み、秀吉のように知恵をだし、家康のように我慢強く、先を考える師勝西小の子に育ってくださいね。 |
北名古屋市立師勝西小学校
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